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先生のために! 2

Author: 美咲如
last update publish date: 2026-10-27 23:27:35

 ぞわっと、その声を聞いた途端目が大きく開き、全身が震えたのがわかった。

 恐怖ではない。けれども、からだ中に鳥肌が立つ——そんな感覚に戸惑う。

 その初めての刺激に、ネメシスは咄嗟に上を見上げた。

(——……っ! 外部からのお客様! )

 見たことのある色の瞳が、ネメシスを見つめている。

 鼓動が、バクバクと激しく鳴りはじめた。

「……っあ」

 魔術とはなんなのかとか、顔の近さがとか、あなたは誰なのか、さまざまな疑問符が浮かぶ中、ネメシスが口にしたのは、

「……あ。……きれいな、お月さま……」

 限られた日々の中、ネメシスが感情を昂らせることはそれほど多くない。そんな中で、唯一毎日見上げていたもの——。

 今もネメシスを見つめている、金の双眸を持った男——それが、オリヴァーだった。

「私の名はオリヴァーという。ちょうど、君に会おうとしていた」

「……わたし、ですか? ……すみません、先に用事を済ませて良いですか?」

「もちろん構わない。ついていこう」

 まだ心臓が騒いでいる。早くここから立ち去りたくて、何か口にしなければと咄嗟に出た。

 王都の偉い役人が、少年を傷つけたことでネメシスを咎めるためにやってきたのならば、このままどうなるのかわからない。せっかく早起きして収穫した野菜をそのままにするのはなんとなく嫌だった。

 それ以上に、ネメシスと視線を合わせるために片膝をついている客人をそのままにしておけないと、周りの視線から逃げるように身を捩ってオリヴァーの手を解いた。

「君たちも案内をありがとう。それでは」

「…………あ」

 オリヴァーは住人たちに礼を言うと、ネメシスが背負っていたカゴを腕から引き抜いた。肩が軽くなり、慌てて手を伸ばす。

「ずいぶん美味しそうな野菜だな」

「……すみません! これは、卵とお肉と交換してもらうので……。お渡しできるものでは……」

 カゴの中の瑞々しい野菜への感想は嬉しかったが、これはネメシスが生きていくために必要な肉と交換するものだ。渡せと言われたら他の野菜が育つまでにネメシスが倒れてしまう。

 必死の懇願に、オリヴァーは自分が野菜をよこせと伝わったのだと気づく。

「勘違いさせて済まない。君の大事なものを取り上げたりなんかしないから安心して」

 青ざめて目を潤ませていたネメシスは、思わず安堵で深いため息をついてしまった。慌てて軽くなった両手で口を塞ぐ。小さい爪の先には土が挟まっており、それに気づいてきゅっと手を握って背面に隠した。

「私は君のことが知りたい。初対面で緊張しているかもしれないが、普段の君が見たい」

 突然やってきた人に突然そんなことを言われても、ネメシスにはわからなかった。

(……普段のわたし。普段のわたしって……どうだっけ? ……無理に話すことはしなくて良いのかな?)

 ネメシスの住んでいる家は大変古臭いので、野菜を交換してくれた店の店主に頭を下げて、店前のベンチを借りることにした。客人たちの身なりが良いことに慌てた店主がベンチに洗いざらしのシーツを被せたが、逆にネメシスはそこへ座れなくなってしまった。

 座ったオリヴァーが、いつまでもネメシスが立ったままなのに気づく。自分のローブを脱いでシーツの上に広げると、いつまでも動かないネメシスの脇に手を入れて抱き上げた。

(……っえ? 汚しちゃう! わたしは汚れているのに!)

 火を起こすのが大変なので、普段水をかけ流すくらいしかしていないネメシスは、決して清潔などではない。住人たちにも汚れていると言われるのだ。思わず両足をバタつかせて下ろして欲しいとせがむ。

「……軽すぎる。……ほら、埃が舞う」

 ピタッと動きを止めて大人しく座ったネメシスに、良い子だとオリヴァーは頭をポンポンと優しく叩いた。

 今はもうなくなってしまった大人たちとの気安いやり取りが懐かしくなって、せっかく収まったはずの涙腺が再び緩みだす。

「……ずいぶん苦労をしていたんだな。君の作った野菜やその手を見ればわかる。生きるために必死だったんだと。そんなに頑張っている君が汚いはずがないだろう? よく、今日まで生き延びてくれていた。私はその事にとても感謝している」

 真剣な眼差しに、ネメシスは泣きそうになるのをグッと堪えて話を聞いた。

 オリヴァーたちは王城の魔術師で、遠征中に感じた魔力を追って、勧誘できればと考えてこの集落へやってきたのだという。

 魔術なのかはわからないが、と、ネメシスは少年を傷つけた時のことを吐露した。

 自分に身に覚えのない、目に見えない何かが取り憑いているのではないかと、散々大人たちに言われて怖かったのだ。きっとこの人は話をまともに聞いてくれる。そんな安心感がネメシスの中に生まれていた。

「……どうしてか、急に目の前が熱くなって、気がついたら痛がっていて……」

「住人たちからの証言と一致している。村の少年が傷ついたと。……それに、今も君の体内の魔力が不安定に蠢いている。私が思うに、君は強い恐怖を感じて魔力が暴発したんだと思う。先ほども……怖がらせて済まなかったね。……けれど、このまま感情に任せて暴走させると、最悪君自身も危険なことになる」 

 静かに淡々と話すオリヴァーの話は、不思議とネメシスの中にスッと入ってきた。

(……これ以上どうやって生きていけば良いのか、生きていても良いのかって考えていたのに……。不思議……。この人の話すことは信じようって思える……)

 少年を傷つけたことが魔力の暴走なのは理解した。感情任せではない、理路整然とした話しは、森に迷い込んだネメシスを出口へと導いてくれそうで。

 そんな彼の提案は、ネメシスにとって天啓にも思えるものだった。

「君が良ければ、私が君を引き取って保護しようと思うが、どうだろうか? このままここにいても、周囲に怯え誰かを傷つけないかと不安に駆られて、君はこれからも自分を犠牲にしてしまいそうだ。そうやって君が傷つくのを、私はほっておけない」

「……あなたさまについて行ったらわたし、誰も傷つけないようになりますか? 嫌なんです……。わからないうちに誰かを傷つけるのは……!」

 不安顔のネメシスに、オリヴァーは優しく微笑み返した。

「……もちろん。よく今まで頑張ったね。もう我慢しなくて良い。これからは私が君を守るよ。」

 優しく頭を胸元に寄せられて、ネメシスは久しぶりの体温に、今度こそ涙腺が壊れた。

 骨が目立つ肩を震わせて声を出さないように泣くネメシスを、オリヴァーは優しく抱き寄せた。 

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  • 孤独な魔術師は、二重の愛に溺れる   先生のために! 1

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